【アンドロイドは電気羊の夢を見るか?】

今でも人気があるSF作家フィリップ K ディックの傑作“アンドロイドは電気羊の夢を見るか?”の紹介から。(ブレードランナーという題名で映画化されている)

核戦争後、人類は多数の他の星に移り住んだ者と少数の地球に残った者に分かれる。

そして他の星では開拓のために、アンドロイドを使っている。

ある日、最新型アンドロイドネクサス6型の数台(と言っても外見は人間と同じ、感情まである)が地球に逃亡し、それを主人公の賞金稼ぎリック・デッカードが追い詰めていく。

そのころの地球では、ほどんど絶滅してしまった動物をペットとして飼うのが高いステータスだが、ほとんどはうまくできたロボットだ。

飼い主はそれがロボットだと言うことを隠しながら飼っている。

(内容の紹介はここまで)

このSFは非常に人気があった(今でも)ので、読まれた方も多いだろう。

(映画ブレードランナーをご覧になった方はさらに多いと思うが、肝心なところがかなり原作と違う。映画には動物は出てこなかったのでは?)

デジタルが進めば進むほど興味はそちら側に向く半面、ローテク、アナログの価値観にも目がいく。

しかし、ローテク、アナログなものはどんどんこの世から消えて行ってしまう。

コンピュータの発達による文明の発展は、それが進めば進むほど正反対の価値感を持つ機械式時計は、特別視されるということだ。

人間は日常と反対のもの、数の少ないものに憧れ、そして大事にする。

おそらく数十年後

 特に今現在存在するほぼすべての機械式時計の価値はとんでもなく、跳ねあがっていると思っている。(すでにそれは始まっている)

そしてその後はどうなるのか?

おそらく更に上がり続けるだろう。

問題はどうやって今ある時計を存続させ続けるか?にかかっている。

時計修理のカナルクラブ

【最初見たときは違和感がある】

同じ時計を長年使うと、目が飽きてくる。

買ったときには気に入っていたデザインでも飽きがくる。

 

これは前にも書いたが、その逆もある。

例えば、ロレックス16014(ガラスの部分がプラスチック製)を使っていたとする。

プラスチック製は、頂上がややカーブしている。

その後継型16234が発売されると、頂上がフラットのサファイアガラス仕様。

 

旧型のプラスチック製だとガラス面にややカーブがあったのに対し、新型サファイアガラスはフラット。

たとえキズが付きにくいのはありがたいが、フラットな形状にはまだ目が慣れていないので何か違和感を感じ、落ち着かない。

 

そのガラス仕様変更から40年近く年月が経過しているが、とっくにフラットのサファイアガラスに目が慣れている。

 

こんな感じで、

例えば、人がニューモデルを買うと文句をつけたくなることもあるが、いつの間にか自分も欲しくなっている。

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【見飽きることと、価格上昇による見直し】

例えば新品で時計を購入したとしよう。

数年経つとどうしても、感激は薄まっている。

見飽きるといって良いのかもしれないが・・・。

確かに買ったときの高揚感はなくなり大事ではあるけれども、目の前にあるのが当たり前に感じるようになる。

そんな時、新作の時計を目にすると、かなり自分の時計とは雰囲気が違う。新しい時計の方が良く見えてくる。

誰でも経験したことだ。

しかし、高級時計の底力はそのままでは終わらない。

昔からそれぞれの時代のコンテンポラリー(現代的)として製造されてきた高級時計は、デザインが古びて見える期間を過ぎると全く別の表情が見えてくる。

時計が今まで気づかなかった表情を表すことがある。

ここまで来て本当に高級時計が味わえるということだと思う。

つまり目に見えない、または気づきにくい価値を潜在的にたくさんもっているのが高級時計だ。

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【ルネサンスと時計】

映画“第三の男”のオーソン ウェルズの台詞。

「イタリアではボルジア家の圧政はあっても、ルネサンスが生まれた。一方スイスは数百年の平和の間に何が生まれたか?ハト時計だけだ。」

オーソン ウェルズは

「最高の旅がしたければイタリア人を巻き添えにしろ」と言ったくらいの人なので、イタリアびいきでもあるのだろう。

ルネサンス自体は終わっても、その流れはどんどん変化、進歩し、これからAIの時代になろうとしている。

一方、ハト時計はともかく腕時計は少しの進歩を続けながら今に至っている。

腕時計の少しの進歩というのは、コンピュータほど爆発的なものではなく、世界の発展にそれほど影響を与えていないということだ。

では機械式時計は取り残されているのか?

答えはNOだ。

文明に対する貢献は終わったかもしれないが、文化、精神に対する期待を今までも担ってきたし、さらに今後期待できる素材であることに変わりはない。

コンピュータがさらに発展すればするほど、さらに日常的になればなるほど機械式時計との感覚的なギャップは増大すればするほど、機械式時計にはむしろその本質は変わらないことが期待されていく。

かつて時計も電気(クォーツ)の時代に変わってしまうぎりぎりのところの機械式時計が踏ん張り、存続したという時代があった。

そして今、コンピュータが進歩すればするほど正反対のものとして、機械式時計の本質は輝きを増し続ける。

つまりコンピュータとは真逆の機械式高級時計というものがまさに時代に取残される寸前だったものが、2つの間のギャップにより価値を上げ続けている。

とにかく利便性の追求という意味で、今まで重宝がられていたものが捨てられ、どんどん新しくなっていくのがこの世の中だ。

しかしその中で機械式時計に対する注目度が上がるのは当然だろう。

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【機械式時計とペット】

日常的に人が接するもののなかで電気を使わず、しかも“勝手に自分で動くもの”と言ったら機械式時計とペットくらいしかないかもしれない。

機械式時計は電気を使わないというルールの中で開発される。

そのルール上にありさえすれば少し利便性に問題があっても、価格が高くても許される。

つまり機械式時計とペットは一般的な物(文明の発展を担うもの)とは違う価値観によって存在し続けている。

世界は、

特にこれからは爆発的に変化していくので

その反作用としての機械式時計とペットの価値は

永遠に価値が上がり続けるだろう。

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