時代の流れに逆行している

機械式時計が好まれるしかけ

機械時計の人気は一向に落ちないばかりか、ますます人を惹きつけいています。そもそも今の時代になぜゼンマイ時計なのでしょう?値段は高いし、クォーツに比べれば時間は不正確。一体なぜなんでしょうか・・・・

 

電気を使わず、コンピュータ制御も、もちろん無し。全くもって世界の流れに逆行した世界であり、価値観です。そしてそれを喜んで買う人の数の多さ!全く不思議です。

他に機械でそんな世界があるでしょうか?自動車は電気というか、すでにコンピュータが内蔵されています。では自転車テニスラケット・包丁などはどうでしょうか?電気は使われていませんが、自分で動くことも有りませんね。人間が乗っている間だけ動いて、手に持って使いこなすものです。やはりコンピュータはおろか、電気を一切使わないでそれでいて自動的に動く物で、しかも同時に世界中の人の関心を集めているのは、何といっても機械式時計くらいのものでしょう。

 

なぜ時計だけが多くの人に受け入れられ、生き残っているのか?

おそらく電気、コンピュータを使えば何でも可能になるという感覚が我々にあるからです。それとは逆に電気も使わないで、正確に動くというのは、オートマタ(自動人形)に感じるものと同じ感覚もあるでしょう。つまり、不思議なんです。電気の力で(コンピュータの発達で)次々と新しいことが可能になっていく。その時代に我々人間の意識が少し着いていけないところがある。時代は急速に進化していく。

 

電気やコンピュータを使わない機械時計は、我々生身の人間としても自己投影できる物なのでしょう。最初は機械時計は便利な物な物でしたが、今は便利さは二の次になっています。時間を知るのに、もう時計は必要ありません。人間もそうです。人間に求められる進化は機械にできないものです。そして、機械時計にも同じことが求められています。

 

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時計の価値感が金額だけでは寂しい

 

フェラーリと2cvどっちが偉い?

今年の春頃、軽井沢に行った時に浅間山博物館で、シトロエン2cv(ドゥーシーボと読みます)が博物館の広い駐車場を走っていました。最近は殆ど見なくなった2cv。だいたい普通の感覚で街中や、高速道路を走ると危険でしょう。スパルタンだからではなく、パワーがあまりにも低いからです。まだまだ2cvが好きで、乗りたい人も多いと思いますが、あれを所有し、実際に運転使用というのはメンテナンスの問題も含めかなりハードルが高い望みでしょう。

 

以前、2cvを見たのは、たぶん3年くらい前に普段歩かない裏道を歩いている時のことです。ごく普通の一軒家に、もの凄く狭い駐車スペースに2cvが置いてありました。かなり外観も傷んでいて、サビもかなり出ていて、車体を雑草が少し隠しているような状態です。 どう見ても動かないと感じました。(ナンバープレートの確認は残念ながらしていません)つまりオブジェ化していたんです。でもオブジェとしてとても素晴らしいものでした。きっとオーナーは捨てられないのでしょうね。よく、古くて大きな洋館の玄関近くに彫刻があったりしますが、広い庭があって、草ぼうぼうで、そこに彫刻が置いてある、あれと同じ意味合いです。

もちろん新しいフェラーリの世界とは全く違います。時計は、全てとは言いませんが、古くなればなるほど増していく魅力というものがあります。それに気付かせてくれたシトロエン2cvでした。

 

成功の証(あかし)や豪華さとは別の価値観。それに気付いた人のモチベーションによりそういう時計は維持されるということです。そしてその時感じる価値観は金額では有り得ません。

 

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高性能時計“戦う”から“守る”へ

高性能時計 『戦う』から『守る』

高級時計が高性能を誇る時代はこれからも続くと思います。

高性能は

・精度

・持続時間

・防水性

・耐磁性     などです。

ただ、それを買った人の使い方としてはその性能にリスペクトを感じながらも、その高性能をフル活用しない方向に向かうはずです。

ここで、フルに使うというのは

・真夏を含めて毎日使う

・メンテナンスもしていないのに海で泳ぐ

・腕に着けたままゴルフバンバン

 

これらはなぜかと言うと、特に最近の“高級時計”の立派で物々しいビジュアル、そしてステンレスを使うことにより未だに残るリューズやボタンなどの腐食の問題。そして上昇し続ける新品定価と中古相場。これらを考えると、性能をフルに活躍させて劣化させるのはもったいなさ過ぎます。また、現代では、時計は必ずしも必要なものではないというのも価値観の変化に影響しています。時間は携帯電話などでも知ることができます。また、時間を知るだけなら時計は5000円もだせば買え、御釣りがきます。

だから高級時計の価値は昔と変わったのです

皆さんもご自分の高級時計を大事になさっていると思います。ただ、夏の使用頻度については無頓着である方が多いようです。それほど遠くない会社の行き帰りならそれほどでもないかもしれませんが日中も腕に着けてかなり汗をかくような環境では、時計はかなり傷みます。(この件については他の記事にたくさん書いてあります)防水性がどうのという問題ではありません。 高額な外装部品が傷むということです。

 

 

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機械式時計の存在

機械式時計は絶滅の危機に瀕していた

かつてほとんどすべての時計がクオーツにとってかわりそうな時代がありました。1970年クオーツショックと言われてる時代です。

その頃に書かれた本に「スイス時計業界の高級時計のシェア 97% 低価格時計シェア 0% これでは勝てない」という文章が書かれていました。

-時計店なら販売する高級時計が97%だと大喜びですが

-国の産業として見た時にこれはやはりまずいということになります。

高級時計97%と言っても販売戸数が圧倒的に少ないですから。

 

さて、ここでまず「誰が勝てない?」のか?・・・スイスです。

そして「どこに勝てない?」のか?・・・日本です。

当時、低価格時計は日本の独壇場でした。(その後スイスにSWATCHが登場します。当時、SWATCHは日本テレビコマーシャルもあったくらい本気で日本上陸を狙っていました。)

ただそこまでして日本上陸に熱心だったにもかかわらず、すぐに大きな成功を収めることはなかったようですし、実際に成功したのはそのずっと後になります。

 

しかし、なんだかんだ言っても世界的に成功したSWATCHはオメガやロンジンを傘下に収め、現在の巨大グループに成長していきます。つまり、たくさんの低価格時計を販売することで得たお金で有名高級ブランドを傘下収めたということです。しかし、有名ブランドの売りはやはり機械時計でした。それは今でも変わりません。

 

スイスは機械式時計の価値を上げることをしなかったらクオーツ時代の流れに飲み込まれていたはずです。しかしそこで踏みとどまったスイス時計業界は存続の危機を免れました。そうまでしてスイス時計業界が守った機械式時計、というより、スイス時計業界を救う切り札になった機械式時計というものはどんな不思議な力があるのでしょう。

機械式時計の何が気に入っているのか?・・・・・・

・毎日巻くから愛着がわく

・ちょっと時間が狂うから人間的だ

・電気を使わずあんな機械を作った人間は天才だ  等など・・・

 

とは言っても何かしっくりときません(~_~;)あまりにも個人的すぎます。根本的な理由ではないでしょう。

 

スイス時計業界を立て直したパワーはどこから来るのか?

そしてこれから書く、今後さらに高級時計の価値が上がっていくという予想は、一個人の好み・興味だけでは成り立ちません。高級機械式時計は同時代の他のアナログ機械が絶滅していく中でシーラカンスのように生き残りました。しかもかろうじて生き残っているのではなく堂々した存在感を持ってです。

 

これから社会状況の変化につれて人々の興味の対象としての高級時計の価値も変化します。そう思える最大の理由は、コンピューター、AIの進歩により人間の意識の方が変わるからです。つまり機械時計の価値はコンピューター化する世界に逆行(しかも見事に)しているからだと言えます。

 

この時代の流れに逆行して価値を増す傾向は、AIが実生活に登場する場面が多くなればなるほど当たり前になればなるほど、加速度的に増していくはずです。この正反対のものだからというのが、決定的な理由です。

 

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たとえ動かない時計でも捨てない、売らない

時計は捨てないでください

ずいぶん昔になりますが、(たぶん20年ちょっと位前?かな~)イギリスにビカレッジという会社があって、車のジャガーEタイプを完全レストアして販売しているというのをカーグラで読んだことがあります。

 

Eタイプの、破損している部品は純正部品と交換し、どうしても手に入らない部品は旋盤で完璧につくり昔の新品時に戻して販売する。そしてその価格はなんと¥2,500万-だったと記憶しています。当時のフェラーリのテスタロッサと同じ値段でした。

 

今でこそジャガーは高級車だが、昔、本国イギリスではそうでもなかったようです。それをこんな高額で売るなんて。どういう神経か?いや、これはジャガーEタイプのファンは、時空を超えて存在するからです。もちろん製造中止になっている車種なので、高くても買う人がいる。

 

では時計はどうでしょう?

多かれ少なかれ、時計も同じです。現在、中古市場で価格がどんどん上がっています。また、少し前はあまり注目されなかったものまで上がっています。

 

もし皆さんの中に動かない時計を持っている方がいて、今のところ直す気にならないとしても捨てずにしまっておいた方が良さそうです。いずれその時計を皆さんが、そして社会がより高い価値を感じるときが必ず来ます。もしその時部品が製造中止になっていても時計の部品でも純正部品と同じように作ることが出来る時代になっているかもしれません。(もちろん現在の“社外品”のレベルではありません)すぐにではないですが、部品が無くなっていたとしても3Dプリンターなどの発達も期待できます。

 

時間が経てば、時計の価値は上がります。(基本的には高級時計だけだと思いますが)だから時計は売らないで、捨てないで、たとえ動かなくても手元に置いておくことをお薦めします。

気の長い話ですが・・・( *´艸`)

 

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【アンドロイドは電気羊の夢を見るか?】

今でも人気があるSF作家フィリップ K ディックの傑作“アンドロイドは電気羊の夢を見るか?”の紹介から。(ブレードランナーという題名で映画化されている)

核戦争後、人類は多数の他の星に移り住んだ者と少数の地球に残った者に分かれる。

そして他の星では開拓のために、アンドロイドを使っている。

ある日、最新型アンドロイドネクサス6型の数台(と言っても外見は人間と同じ、感情まである)が地球に逃亡し、それを主人公の賞金稼ぎリック・デッカードが追い詰めていく。

そのころの地球では、ほどんど絶滅してしまった動物をペットとして飼うのが高いステータスだが、ほとんどはうまくできたロボットだ。

飼い主はそれがロボットだと言うことを隠しながら飼っている。

(内容の紹介はここまで)

このSFは非常に人気があった(今でも)ので、読まれた方も多いだろう。

(映画ブレードランナーをご覧になった方はさらに多いと思うが、肝心なところがかなり原作と違う。映画には動物は出てこなかったのでは?)

デジタルが進めば進むほど興味はそちら側に向く半面、ローテク、アナログの価値観にも目がいく。

しかし、ローテク、アナログなものはどんどんこの世から消えて行ってしまう。

コンピュータの発達による文明の発展は、それが進めば進むほど正反対の価値感を持つ機械式時計は、特別視されるということだ。

人間は日常と反対のもの、数の少ないものに憧れ、そして大事にする。

おそらく数十年後

 特に今現在存在するほぼすべての機械式時計の価値はとんでもなく、跳ねあがっていると思っている。(すでにそれは始まっている)

そしてその後はどうなるのか?

おそらく更に上がり続けるだろう。

問題はどうやって今ある時計を存続させ続けるか?にかかっている。

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【最初見たときは違和感がある】

同じ時計を長年使うと、目が飽きてくる。

買ったときには気に入っていたデザインでも飽きがくる。

 

これは前にも書いたが、その逆もある。

例えば、ロレックス16014(ガラスの部分がプラスチック製)を使っていたとする。

プラスチック製は、頂上がややカーブしている。

その後継型16234が発売されると、頂上がフラットのサファイアガラス仕様。

 

旧型のプラスチック製だとガラス面にややカーブがあったのに対し、新型サファイアガラスはフラット。

たとえキズが付きにくいのはありがたいが、フラットな形状にはまだ目が慣れていないので何か違和感を感じ、落ち着かない。

 

そのガラス仕様変更から40年近く年月が経過しているが、とっくにフラットのサファイアガラスに目が慣れている。

 

こんな感じで、

例えば、人がニューモデルを買うと文句をつけたくなることもあるが、いつの間にか自分も欲しくなっている。

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【見飽きることと、価格上昇による見直し】

例えば新品で時計を購入したとしよう。

数年経つとどうしても、感激は薄まっている。

見飽きるといって良いのかもしれないが・・・。

確かに買ったときの高揚感はなくなり大事ではあるけれども、目の前にあるのが当たり前に感じるようになる。

そんな時、新作の時計を目にすると、かなり自分の時計とは雰囲気が違う。新しい時計の方が良く見えてくる。

誰でも経験したことだ。

しかし、高級時計の底力はそのままでは終わらない。

昔からそれぞれの時代のコンテンポラリー(現代的)として製造されてきた高級時計は、デザインが古びて見える期間を過ぎると全く別の表情が見えてくる。

時計が今まで気づかなかった表情を表すことがある。

ここまで来て本当に高級時計が味わえるということだと思う。

つまり目に見えない、または気づきにくい価値を潜在的にたくさんもっているのが高級時計だ。

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【ルネサンスと時計】

映画“第三の男”のオーソン ウェルズの台詞。

「イタリアではボルジア家の圧政はあっても、ルネサンスが生まれた。一方スイスは数百年の平和の間に何が生まれたか?ハト時計だけだ。」

オーソン ウェルズは

「最高の旅がしたければイタリア人を巻き添えにしろ」と言ったくらいの人なので、イタリアびいきでもあるのだろう。

ルネサンス自体は終わっても、その流れはどんどん変化、進歩し、これからAIの時代になろうとしている。

一方、ハト時計はともかく腕時計は少しの進歩を続けながら今に至っている。

腕時計の少しの進歩というのは、コンピュータほど爆発的なものではなく、世界の発展にそれほど影響を与えていないということだ。

では機械式時計は取り残されているのか?

答えはNOだ。

文明に対する貢献は終わったかもしれないが、文化、精神に対する期待を今までも担ってきたし、さらに今後期待できる素材であることに変わりはない。

コンピュータがさらに発展すればするほど、さらに日常的になればなるほど機械式時計との感覚的なギャップは増大すればするほど、機械式時計にはむしろその本質は変わらないことが期待されていく。

かつて時計も電気(クォーツ)の時代に変わってしまうぎりぎりのところの機械式時計が踏ん張り、存続したという時代があった。

そして今、コンピュータが進歩すればするほど正反対のものとして、機械式時計の本質は輝きを増し続ける。

つまりコンピュータとは真逆の機械式高級時計というものがまさに時代に取残される寸前だったものが、2つの間のギャップにより価値を上げ続けている。

とにかく利便性の追求という意味で、今まで重宝がられていたものが捨てられ、どんどん新しくなっていくのがこの世の中だ。

しかしその中で機械式時計に対する注目度が上がるのは当然だろう。

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【機械式時計とペット】

日常的に人が接するもののなかで電気を使わず、しかも“勝手に自分で動くもの”と言ったら機械式時計とペットくらいしかないかもしれない。

機械式時計は電気を使わないというルールの中で開発される。

そのルール上にありさえすれば少し利便性に問題があっても、価格が高くても許される。

つまり機械式時計とペットは一般的な物(文明の発展を担うもの)とは違う価値観によって存在し続けている。

世界は、

特にこれからは爆発的に変化していくので

その反作用としての機械式時計とペットの価値は

永遠に価値が上がり続けるだろう。

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